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清水 (1934), p.228
かつて姉から聞いた言葉は、乞食はただ土下坐をするに尽きる、ただ頭を下げるに尽きるというのであったが、しかしそれは一面の世界であって、やはりこうした世界には技巧や嘘偽が必要なのである。
ことに段々そうしたことが必要とせられるようになって来たのである。
それだけ社会状勢の変り行く世界を看取することが出来る。
今の乞食は同情に訴えるだけではますます物乞いが駄目になって来た。
これからの物乞いは、むしろ人間の弱点を利用してそこに突っ込んで行くことに変化して行くのである。
社会の状勢がますますそうなりつつあることを味わわせられる。
この頃の私は段々乞食に馴れて来たのである。
あの人はくれる。あの人は十銭だ。あの人は一銭だ、と大体に見当が付くようにまでなって来た。
それだけいわゆる乞食に成りやすい。
真の行乞はともすれば忘れて情けない物乞いの技巧を自然に会得するようになる。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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