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清水 (1934), p.230, 231
月日は流れてこの頃の自分はそろそろ門口に立つようになって来た。
土下坐の行も難かしいものであったが、一軒一軒の門口に立つのはさらに人世行路の難行をしみじみ味わわされる。
ただ不思議に思われるのは船場や島の内の一流場所でなくて、物貰いはかえって貧民窟の方が多いのである。
富める人達の家はいたずらに境界が厳しく、時たま中に入ってもすぐ追い出される。
それはその主人と云うよりも、それに忠なる番犬によってである。
貧民窟は生活苦の溢れているところでありつつ、心安くなりやすい、自然同情が湧いて来るのである。‥‥‥
今日は船場から島の内の富豪街へ出た (この頃の富豪は比較的郊外に家を持っている)。
台所口に件立して憐れ気に声をしぼって恵みを乞うのである。
大抵の家は、乞食が来た面倒臭い、断ってしまえ。そして行ってくれ、と断られるのである。
そうですかと隣へ行く。
またその家でも同じ事である。
そのまた隣も同じくである。
それでは乞食は生きて行けない。
そこに技巧が加えられるのである。
そうした時は、なかなか容易に去らない。
くれるまで去らないのである。
ある意味における恐喝である。
大抵そう言う場合は台所口で虱でも取るのである。
ああ乞食が門口で虱を取っている、穢い。
すると、早く一銭与えて隣へ追っ払ってしまえ。
必ず一銭は貰えるのである。
真の恵みでなくて、情けない奴と追っ払う手段として一銭の金になって来るのである。
一体、いわゆる富豪などの人は比較的そうした心理が動きやすい。
恐ろしい者、情けない者、穢らわしい者などは早く金でもやって追っ払うことになりやすい。
人間にじかに触れると云うことが少ない。
そこの呼吸を上手に利用してゆくものが常に富豪街を稼ぐものの秘訣なのである。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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