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清水 (1934), p.226
初めての貰いをお母あに渡したところ、
「若、お前は随分稼ぎが少いね」。
稼ぎ。
私はその言葉が異様に響いたのである。
こうした人達は物を貰うとは言わぬ、稼ぎと言うのである。
人間が生きてゆくのには、何らかを稼がねば生きてゆけぬのは当然であるが、乞食を稼ぎと言うのは、はじめてである。
素純な乙女の心はただ物貰いをしているが、乞食となれば物貰いは生きて行く手段としてなされる。
生活の手段となれば技巧を交える。
嘘偽も生れて来るのである。
所詮人間は一切放下着でなくては真実のものには触れられないのである。
果せるかな、翌日はその手段に悩まされたのであった。
稼ぎは一種の職業である。
職業となれば貰うのは当然になりやすい。
感謝の念は伴わないと云ってよい。
いわゆる乞食達はあまりにも恵みに対して感謝を持っておらぬ。
こうした中の姉は際立っていた。
純なるものはこうしたドン底でも光っている。
「若、今日はお前、片手のチンピラと一緒に稼いで来るのだよ。姉もついて行くからな。しっかりやって来いよ」。
これは朝出の時のお母あの声であった。
片手のチンピラは左手を怪我して自由が利かないのである。
そしてその片手は神経すら痲痺して、痛みも痒みも感じないのである。
その不具の片手を無理に傷つけているのである。
それは物貰いを効果的にする「稼ぎ」の一手段である。
チンピラは道すがら話した。
このチンピラはまだようやく十二歳になる少年である。
四五歳の頃母に伴われて流浪したが七歳位のとき母はある木賃宿で突然死んでしまった。
その時、その木賃宿に泊っていた一人の法界屋に拾われて旅を続けつつ今ではこの群れに流れて来たのである。
片手が不具になったのはいつの頃からか知らぬと言っていた。
今日は姉の指導で千日前の法善寺の門前に坐った。
千日前は大阪唯一の盛り場所である。
行き交う人も昨日の場所とは異にした、お寺詣りの人、盛り場に遊ぶ人、皆違った匂いを持っている。
こうしたところはむしろチンピラが唯一の稼ぎ手である。
吾々のように身体に欠陥はなく、また若いものはむしろ同情に訴えるのは駄目である。
それでこうしたチンピラを組み合せるのである。
今日はチンピラのお蔭で、十二銭を受けた。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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