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清水 (1934), pp.225, 226
一日の物乞いで私は十銭五厘を得たのである。
隣りで同じように貰っている姉は一円六七十銭も貰っているというのである。
乞食の技巧はいずれにあるのやらと思いながらたずねてみた。
すると姉は、乞食の上手下手は別にないよ、お前の物貰いの足りないのは頭の下げようが足りないからだ、と云われた。
頭の下げようが足らぬ、私は痛い急所を突かれたのである。
乞食は技巧ではない。
ただ土下坐である。
自然の恵みは技巧でうけるのではない。
一切を放下着した下坐行である。
しみじみと味わわせられるのである。
行き交う人のこころには私の倣慢はそのまま映るに違いない。
それだけ自分には恵みも少なかったわけである。
俺は今日はなかなか頭が下らなかったが、どうしたならば下るだろう。
そうすると姉は、下げようと思うている間はなかなか下らないよ。
今に自然に下げられてくるよ。
彼女の言葉は真実であった。
下げずにはおれなくなれば自然に下る。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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