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清水 (1934), pp.227, 228
今日はお母あが姉や他に十二三人連れて京都の東寺の弘法大師の縁日の出稼ぎに行くのである。
私も連れて行ってもらった。
東寺の縁日は月一回であるが、ことに春の縁日は近在からの人出もあり、京都での名物である。
島原遊廓の太夫の道中があるというので一層の賑わいを呈するのである。
夕方前から出てちょうど朝の頃京都近くの村まで着いた。
これから二三時間くらい寝るのである。
十二三里の徒歩の旅行である。
かなり疲れているので薮の蔭でぐっすりと朝寝をした。
突然丹波の声がした。
「皆早う起きんかい、遅くなったぞ」。
その声は大変高いものであった。
無理もない。
後できくと早く行って東山のチャンに挨拶をせねばならぬ。
その挨拶や仁義を怠つては、はるばる大阪から来ても物貰いは出来ないのである。
お母あは驚いて、はね起きた。
「ああ、疲れて寝過ぎた。皆行こうぜ」。
言いながら先に立って歩き出した。
その速いのには驚いた。
乞食はそのまま草の上にころりと寝るが、そのまままたすぐに歩み得る用意が常に必要である。
自分もあわてながらについて行くのである。
東寺へ着いた時は早や東山のチャンの代理として東山のお母あが来ていた。
皆はお母あに導かれながら挨拶を済まして、割り当てられた場所に土下坐した。
こうした仲間では土下坐することを「ジベタキル」というのである。
「若、お前はここでジベタキレ」。
丹波は副総理という顔付きで私に命令した。
その隣には足の悪い丹波の子供が坐を占めた。
「わざわざ大阪から来たのだ。しっかり稼げよ」。
お母あは仲間の土下坐する配合に苦心しているのである。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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