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清水 (1934), p.218
ある日のタ近くであった。
用事を済まして天王寺公園の付近を通って帰って来ると、二人の乞食の子供に出会ったのであった。
十二月の上旬頃で早くも雪がちらちらしているのに、その子供は単衣の破れたのを纏っている。
寒さに耐え得ぬものの如く唇などは紫色に変っている。
おい君らはどこへ帰るの、と尋ねると、子供は、わいらには帰る家は無い。
どこで寝ているか、と問、っと、山で寝ている。
たくさんいるかい、と云うと、ウンといるよ。
私を連れて行ってくれないか、と頼むと、他の人を連れて行くとチヤシに叱られる。
チャンとは乞食の頭を呼ぶ名前である。
チャンが叱ったら私がお詫びするから連れて行ってくれ、とさらに頼むと、迷惑らしい面持ちであったが、しばらくしてから、それじゃあ連れて行ってやろう、と素直に聞いてくれた。
子供に連れられて行った場所は、蜜柑山という丘であった。
今は大阪市の真只中になっ℃しまったが、その頃はまだ市外であって、一面が林であり、棟や栗の木などの雑木林であった。
タ間暮であった。
乞食から帰って来たのであろう。
三々五々と集まっている。
小屋はたくさん並んで立てられであった。
冬の夕方で、焚き火をして暖を取っているのである。
火の周囲には十数人も連なっている。
ここにも彼方にも焚き火をしているのである。
林の中の焚き火はいかにも自然人らしいものに感じられる。
煙の都の大都市の付近にもこうした生活人がいるのかと思うと不思議な感じさえした。
着ている衣などは男も女も区別がない。
私は思った。
恵まれるものをそのままに着るものにとっては男の物、女の物と区別はない。
一匹の元気そうな犬がいたが、その犬は七歳位の男の子の口や顔を嘗めて戯れていた。
犬とすら隔てをつけぬまでに一つになって行ける自由人であり、自然人であることがしみじみなつかしく思われたのであった。
一時間ばかりは時を過した。
暇を告げて帰って行こうとすると、連れて行ってくれた子供は、送ってさえくれるのである。
おいネス (ネスとは一般人を呼ぶ符牒である) さんあれ見んか、よいお月さんや。
皓々と冴えている月を指すのである。
冬の月は鋭いほど冴えている。
悠々と月を観賞するこの余裕には、私の心を潤おしてくれる充分なものがあった。
この頃の都会人には、大人としてもそうした心にはなり得ないだろうに。
百軒長屋の焦々しい生活からこうした自然人に触れて私はますます考えさせられたのである。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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