競争社会に対する厭気と「乞食になろう」の間には,大きなギャップがある。
このギャップを短絡させる者は,尊く思う先達の行乞を手本にしたく思うタイプの者である。
その尊者に自分を重ねようとするのが,この場合の「乞食になろう」である。,
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清水 (1934), p.217
昔の先輩者が行乞を生活の最高規範とされたのも大いに味わうべき事であると思われる。
桃水禅師も乞食になられた。
良寛和尚も家のある乞食であり、大灯国師は久しく五条の橋下で乞食をされたと伝えられている。
忍辱の行、頭陀の行として古来の大先輩は常にそうした行を尊んでおられ、釈尊自身も乞食道を歩まれたと拝されるのである。
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同上,p.217
私は百軒長屋の生活では少なからず人間の姿を見直すことが出来たのであるが、またそれだけ危い道を踏んできた。
愚禿に還るのでなくて聖者や英雄を真似る、同朋として生きて行くのでなくて弟子として臨むようになる。
聖親鷲には師と同朋はあったが、弟子は一人も持たれなかった。
特に檀越はなかったのである。
ただ愚禿としての存在であった。
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同上,pp.217,218
桃水禅師は九州の巨利から瓢然として家出されたのである。
そして乞食の群れに投ぜられた。
五条橋下にいられた時弟子の知法尼は綺麗な衣を新調して禅師に贈られたという。
その時禅師は、あなたはよい供養をされたわいと言いつつその新調の衣を群れの乞食にすぐ与えられたと聞いている。
乞食の生活者は余計なものはいらないのである。
余計なものをまだ持ち過ぎている自分だ。
百軒長屋からは今一度沈潜しなくてはならぬ。
今の自分は余計なものが出来すぎた。
ドン底のドン底から自然に湧き出て来る真情の水を味わわねばならぬと感じた。
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引用文献
清水精一著『大地に生きる』, 1934
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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