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清水 (1934), p.159
人間はともすれば一つの道に突き進むことをせずに、とかくその場その場を誤魔化した逃避の道を辿ろうとするのだが、その道は所詮末徹らない、逃げて行く者の悲惨は言うまでもないが、逃げても逃げても逃げ切れない落ち目に到達する。
私は乞食の仲間にいた時のことをしみじみと感じた。
ある日の事であった。
十五六歳位のチンピラ (乞食の仲間では姓名が無くて一つの符牒のようなものを呼ぶ) が、「ヤバがかまった」(ヤハン、カズッタとも言う) と大声を上げるのである。
すると皆の者がばたばたと逃げる。
私は新米の乞食であるから何のことやら様子がよく分らない。
もがもがしていると数人の巡査が小屋 (吾らの仲間の小屋は天王寺の蜜柑山麓にあった) の方へ追っかけてくる。
ハハア、これが話に聞いていた乞食狩りだなと直感した。
その時早くも連れの仲間逹は向うの方へと逃げて行っている。
私もむろん遅れ馳せながら急いで逃げて行った。
十分も走ると胸は苦しくなって来た。
息はますます迫って来る。
今にも倒れそうになって来たので、後を振向いてみると巡査はすぐ後ろにまで迫っている。
絶体絶命だ。
私はあまりの苦しさに、
「どこまで逃げたらよろしいか」
と尋ねてみた。
巡査は大喝一声
「馬鹿! 見えん所まで行けッ」
と怒鳴った。
ぐずぐずしでいて捕えられるより逃げた方が上分別とまた逃げ出して都橋の所まで行ったのである (都橋下にも乞食の一集団があった)。
私は二里余りの道をひたぶるに逃げてやっと落ち着いたのは都橋の小屋であった。
小屋の人々は驚きつつも快く迎えてくれたが、またしばらくすると数人のけたたましい声がして、またそこへ巡査の手入れである。
しかもそれが夜である。
私は考えた。
人が人に追われて逃げている相は随分浅ましい情けない相であろう。
また逃げてゆく道はまことに苦しい道である。
しかもこれだけ逃げて来てまた追われて逃げねばならぬ。
どこに果して逃げ切れる所があろう。
逃げて行く者の生命は窒息こそすれ決して伸びてゆくものではない。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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