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清水 (1934), pp.223,224
今度はチャンの小屋で新入りの儀式がある。
私もようやく仲間入りが出来るようになった。
十二月の上旬に始めて乞食の子供に出会ってから六十日余りも日は流れている。
その間、ほとんど毎日のように昼となく夜となく通い続けたのである。
この頃では仲間の者はほとんど顔馴染みになっている。
チャンの小屋は二十畳程も敷けると思う広きであった。
仲間では一番大きい小屋なのである。
来合せている人は、信州、関東、九州、泉州 [地名が人の呼称になっている]、など代表的なものが十人余りであった。
チャンは正坐につき左右には皆が坐っている。
いつもより大きな蝋燭が点ぜられているので何となく古典的な感じがある。
私は新入りとして一番末坐に坐を得て、正坐のチャンに向かい合せである。
重みのある声でチャンは皆に紹介するのである。
「 |
若さんがどうしても仲間に入れてくれとのことである。
この間皆の衆にも相談したような訳であったが、幸いにして皆の衆も若さんならばよかろうとのことで、いよいよ今日から新入りと言う訳だ。
どうかよろしく頼む。
可愛がってやってもらいたい」。
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すると皆の人達が、
「仲間が殖えて何より目出たい、重畳重畳」
と祝福するのである。
一人でも仲間の殖えることを、こうした人達はとても悦ぶのである。
私はただ叩頭して一切を依頼した。
チャンは、
「 |
若さん、今までは若さんであったが、今日からは若と呼ぶからなあ。
皆の衆もなあ。
そして小屋は、おっ母あ (チャンの妻君のこと) と相談もしておいたが私の小屋に決めることにした」。
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すると皆のものの視線がちょっと光った。
後で聞くとチャンの小屋に起居の出来るのは、チャンの血縁とか、また他所のチャンの息子とかあるいは娘とかであって、こうした破格のことは珍らしいのである。
チャンはどう考えたのか私を破格に扱ってくれたのである。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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