Up 芸術 作成: 2025-02-07
更新: 2025-02-07


      清水 (1934), p.246
    次に乞食の芸術である。
    乞食でも人間である以上、そこになんらかの芸術的なものがなければならない。
    なるほど乞食は無知であるから、智の洗練をうけた芸術はない。
    文芸の如く文字を通して生れて来るものはないが、自然を鑑賞すると言ったようなものは随分ある。
    特に発達しているものは音楽で、自然の楽器を利用したり、また尺八、笛などを用いるのであるがなかなか味わうべきものがある。
    台湾の生蕃が自然美を背景にした一種の芸術を持っているように。
    真に純なる素描的なものでよいところがある。
    竹細工などを中には行うものもあるので、彫刻なども素描なものだがなかなか面白いものが多い。
    私はかなりたくさん持っていたが最後の乞食狩りの時火災に遭ったり、来る友達に持って帰られたりしてしまったので今はほとんどない。
    ただこうした人達は常に自然美に接触しているので宗教的芸術的の一面は想像外に多分に持っているのである。
    ある時若いものを二三人連れて中之島公会堂の傍らで尺八の演奏会を盗み聴きしたことがあった。
    帰りがけに一人が言うのである。
    「あの尺八は上手いんかなあ」。
    私は無意識に、
    「あれは上手なのである」
    と答えると、
    「妙なものが上手なのやなあ」
    と不審そうな顔をしているので、私は聞いてみると、自分らはあんなのはつまらんと思う。あれは作ったもので、鳥や獣の声でないと云うのである。
    それは乞食の生活では忘れられぬものであって、また大いに慰められるものである。
    それを時々思い出しては笛などを通してその声を真似るのであるが、二つ三つの鳥の音を一時に吹き続けたりして、その間にかなりの変化と素朴さを見せるが、なかなか真にせまったものがある。
    そうした感情が高揚されて精神の領域にまで迫ってくる。
    そうした一面をも持っているのである。



    引用文献
      清水精一 (1934) :『大地に生きる』
        谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.