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清水 (1934), pp.234, 235
その小屋には中央に炉を切って自在鍵で上下自由に出来るようになっているのであるが、その自在鍵にはいつもふるすぼった鍋がかかっていてそれで一切のことが弁ぜられるのである。
飯も煮る、副食物も煮る、時には顔をも洗うこともあれば、不浄ものさえ洗うのである。‥‥‥
私の居たチャンの小屋には土瓶や薬缶の一つくらいはあって、ちょっとした茶器さえ具えてあったのであるが、その鍋で小屋の人間の食うものは一切弁じていた。
場合によっては隣の小屋とは有無相通ずるようになっている。
至極簡易生活であるだけにすこぶる器物の利用には上手なものである。
ある時私が留守居をしていると一人の娘が飛んで来て、「おい若、早う盥を造ってくれ」というのである。
私は驚いた。
「何を云うか。俺は桶屋でないぞ」
というと娘は、
「馬鹿 !!」
と言ったなり飛んで出てしまうのである。
私は後からついて行くと、信州の妻君が子供を産んだのである。
その子供を洗うので必要であったのだ。
すると隣の小屋に居た丹波の娘が、
「私が造る」
と言いながら土を少し掘ってその窪みに油紙を持って来て覆いかけた。
そして持って来た水を入れたのである。‥‥‥
ある時であった。
私はちょっと硯を使っていたのである。
姉がちょっと硯を貸せという。
まだ私は使っているのであるがと返事をすると、姉はフウンと言いながら一枚の欠けた皿で墨を磨りはじめた。
そしてそれを使って済んでしまうと、洗ってちゃんと元の所へ置いて行くのである。‥‥‥
風呂なども露天の風呂で、穴を深く掘り下げてその中へ状袋の如き大きな袋が油紙で作つてあるのを吊り下げ、その中へ水を汲むのである。
ここらには焼石が出来ているので、それをその中へ入れる。
そして暖を取るのである。
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同上, p.236
さらに私の驚いたのは布で飯を焚くことである。‥‥‥
乞食は平素は不充分ながらもやはり一通り鍋や釜を持っているが、時々乞食狩りに出会うことがある。
その時はみんな捨てておいて身一つでからがら逃げて行くのである。
この飯焚きはそうした非常時に用いる方法なのである。
米 (この場合糯を半分ほど交ぜるをよしとする) を約八時間くらい布に包んで水に浸しておく、そうすると米が充分水分を吸収する。
それを、河海辺ならば洲になっている所が最も便利なのであるが、約五寸くらいの深さに掘ってそのまま(布で包んだものを) 埋め、そしてその上で火を焚くのである。
砂には水分があるから砂で簡単に蒸せる訳で、よく考えてみるとすこぶる物理的である。
煮られた頃には自然に飯の香りがして来るのであるが食ってみるとすこぶる美味いものである。
河海辺でないときは、古蓆 (新しいものはなおよいが) を拾って来て、二三枚の厚さに重ねて水に浸たして布を包むのである。
簡単な竈を作ってその水分のある蓆を中にして上と下から焚くのである。
外部の蓆が焼ける時分には中では飯になっている。
すこぶる妙を得ているのである。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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