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清水 (1934), pp.247, 248
経済の関係は団体が基調となっていて、私有財産制の知きものはすこぶる微弱なものと見るほかない。
全く私有を許さないと言う訳でもないので、すでに持っているものはその家族の所有と認めているが、その使用権とでもいうものはお互いに共通し合っているのである。
日々稼いで来たものも決して私のものにはしない。
ただ腹が空いたときだけは食うことにしている。
それは自由である。
総じて貰って来たものはお母あに渡してしまう。
お母あは前日の収入で翌日の会計を概算してすべてを処分するのである。
こうした時お母あの人格がよほど公平でないと駄目である。
大抵経済を司るものはチャンの妻君が当たる。
日常の生活上必需品は全部纏めて買う。
都会及び田舎でもだがこの頃はお金をくれる場合が多いから、毎晩夕方になると商売人が豆腐、大根、醤油、米、牛肉などを持って来る。
世の中は面白いものでこうした乞食を得意として商売している商人もあるのである。
「毎度ありがとう」
と言いつつ来るが、私は種々聞いてみると現金で三百人位もの生活の必須品を買ってくれるのはよいおとくいだと話していた。
こうした具合に一切が共同の生活であり、相互扶助を徹底的に行っているのであって生活の保証は団体によって保証されているという訳である。
したがって私有財産を持とうという欲が比較的起らないのであろう。
ちょうど三百人の大家族制度に近いものである。
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引用文献
清水精一 (1934) :『大地に生きる』
谷川健一[編]『日本民俗文化資料集成・1 サンカとマタギ』, 1989, pp.155-292.
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