Up 専攻の意味不明な名称が,学生に誤った思い込みをさせる 作成: 2010-03-25
更新: 2010-03-25


    「法人化」としての北海道教育大学再編で,札幌校の教員養成課程は,ぼんやりした小学校教員養成課程というふうにつくりかえられた。 「ぼんやり」という言い方をここでするのは,実際つぎのようになっているからである:

    • 課程は,教員養成課程ということになっている。
    • 専攻は,「基礎学習開発専攻」「教育臨床専攻」「総合学習開発専攻」「特別支援教育専攻」「養護教育専攻」の5つということになっている。
    • これから推察できることは:
      1. 教科教育は,「基礎学習開発専攻」「総合学習開発専攻」に属する。
        (他の3つではあり得ないから。)
      2. そしてこれは,小学校教員養成である。
        (中学・高校の教員養成だったら,教科で専攻の枠を立てることになる。よってこの場合,「基礎学習開発専攻」「総合学習開発専攻」の名称はないだろう。)
    • しかし,小学校教員養成であることもはっきりしない。
      (小学校教員養成課程だったら,「国語,社会,算数,理科,生活,音楽,図画工作,家庭,体育」の教科が並んで示されるはずである。しかし,これが無い。)

    これが,札幌校が外部者に見える貌である。
    外部者は,この貌から札幌校をどのような大学と受け取ることになるか?
    強調するが,札幌校は従来型教員養成大学である。 しかし,この貌からはそうとは思わない方が自然である。 実際,札幌校が従来型教員養成大学であることをわかっている者は,他から情報を得ているのである。

    また,貌の通りに受け取れば,札幌校は小学校教員だけになるための大学ということになる。 そして実際,小学校教員だけになろうとして札幌校に入ってきている者は多い。
    小学校教員だけになろうとして入ってくるのとそうでないのは,つぎの点で違ってくる:
    • 準備
    • 覚悟

    小学校教員だけになろうとして入ってくる者は,概して,小学校教員という職種をひじょうにハードルの低いものに見積もっている:

      小学校教員で大事なことは,子どもが好きということ。
       この資質については,自信がある。
       実際,子ども相手のボランティアをいろいろしたことがある。

      小学生に教える内容なら,自分はわかっている。
       実際,近所の子どもや自分の妹・弟に,勉強をよく教えている。

      大学の勉強で身につけることになるものは,教え方とか,子どもに対するより深い理解である。

    こういうわけなので,大学に入って専門科目を受講する段になると,つぎのようになる:

      自分は小学校教員になろうとしているのであり,中学校や高校の教員になろうとしているのではない。
       なんでこんな専門的な内容を勉強させられるのか !?

    そして,専門的な力をベースにして「教える」があるのだということを伝えられると,たちまちエスケープモードに入っていく。
    また,エスケープモードに入らないようがんばろうとしても,小学校教員なら学力が低くてもなれるという思い込みから,これまで自分の低い学力に甘んじてきていれば,勉強についていくことが難しい。

    このように,札幌校の専攻の意味不明な名称は,考え違いをした者を学生として呼び込むことになる。 そして,学習指導・生活指導をひどく難しいものにしていく。