Up 「唯物論」: 要旨 作成: 2014-01-05
更新: 2014-01-05


    わたしは,自分の存在論・認識論の方法が,唯物論のそれと同型であることを見出す。
    そこで,自分と唯物論の違いが何であるかを自分にはっきりさせようとして,論述をつくってみる。
    この論述は,「唯物論批判」になる。

    わたしの存在論・認識論の方法が唯物論のそれと同型であるというのは,唯物論が
        「人間─社会─社会的生活過程─意識─言語」
    を立てるのに対しわたしは
        「人間/動植物─生態系─生きる─カラダ─形式」
    を立てていて,そしてこの二つは同型だということである。
    そして,唯物論とわたしの違いは,「人間・生態系」の位置付け/評価の仕方である。

    即ち,唯物論は,人間を高めに評価する。
    これは,生態系を低めに評価するということである。
    生態系を低めに評価するとは,生態系の複雑性を低めに見るということである。
    そして「社会」が生態系と同等視されるものになり,人間はこれの主人であり得る者になる。
    「人間は自由である」「人間は人間の生活を管理できる」となる。
    そこで,「革命」の概念も立つ。

    わたしは,生態系を高めに評価する。
    これは,人間を低めに評価するということである。
    人間は,自分以外の種に対する生殺与奪権を欲しいままにする存在として拡大し,生態系において「罰当たり」の存在になり,「報い」として自分で自分を滅ぼしていくことになる存在である。
    実際,人間社会の進歩を謳っても,大局的には,資源の荒廃・枯渇へ確実にそして加速度的に向かっているということである。
    生態系の内なる存在としての人間は,「人間は支配されている」「人間は人間の<生きる>を管理できない」となる。
    「革命」は, 「自分が生かされている系を壊し,このことで自らを殺す」になり,ロジックとして立たないものになる。