Up 「2023年 出生数最低75万人」の存在論 作成: 2024-03-05
更新: 2024-03-05


読売新聞, 2024-02-28







    「少子化」対策は,「少子化」を「金銭で解決される問題」にする。
    「少子化」対策は,前提が「ひとは子どもが欲しいが,金銭的余裕がないので子どもをつくらない」である。

    これは,とぼけているのである。
    問題の本質を取り出すと,何もできなくなるからである。
    問題の本質を取り出すのは,国民教育上よろしくないからである。


    「結婚したくない理由」となっているのは,そのまま「子どもを持ちたくない理由」である。
    「少子化」は,人の気持ちが「子どもは別に持たなくてよい」に進んでいるということである。
    この時代は子どもを持つことに「メリットを感じない」。
    子育てはたいへんであり,「行動や生き方が制限される」。
    自分の人生は「自由や気楽さを失いたくない」。


    自分の生は,人間以外の生物においては,その意味を問わないものである。
    育児は,人間以外の生物においては,その意味を問わないものである。
    ひとは,自分の生や育児の意味を問う。

    こうなったのは,ことばをもったためである。
    ことばを使うことは,ロジックを自律的に操ることである。
    これは,観念論をやるということである。
    そして,自分の生や育児の意味を問うまでになる。

    意味を問うとどうなる?
    無意味を認めるばかり。
    実際,生物の生・繁殖は,DNA のプログラムである。
    それは,DNA の都合である。
    自分の都合ではない。

    また,「結婚すべし」「育児すべし」は,国・社会 (共同体) の都合である。
    自分の都合ではない。


    ひとは,自分の都合を大事にするようになる。
    これは,DNA の都合,共同体の都合への反逆である。
    ひとは,DNA,共同体の束縛から自由になろうとしている。

    「少子化」は,自由を求める個の数が増えているということである。
    是非も無し。