「数学教育学/学会」の進化 作成: 2016-03-07
更新: 2016-03-07


    「盛者必衰の理」をなぞっているのは,現前の「数学教育学/学会」も同様である。
    「図体拡張」を契機とする「自壊/自滅」(本質疎外の螺旋運動) のラインを描いている。

    「図体拡張」をさせたものは,「業績評価」の時流である。
    論文発表数は,増加の一途になる。

    「論文発表数の増加」には,学生会員が増加し彼らがそのまま論文発表者に加わるという事情が含まれる。
    「学生会員の増加」は,いろいろな要因が重なって成ったものである:
    • 学会経営部が,学会の発展を学生会員の増加に求める
    • 学生も,「業績評価」の時流の中にいる(就職に必要/有利)
    • 学生への論文指導で,論文制作の動機付けに「学会で発表」を用いる


    「学会」に対し「本質疎外」のことばを使うとき,研究交流を含めた人の交流が「本質」になるものである。
    「図体拡張」は,この「交流」を困難にする (「本質疎外」):
    • 分科会が多過ぎて,一分科会当たりの参加者が少なくなる
    • 分科会が多過ぎて,聴ける発表が全体発表の一部になり,研究交流のようにならない
    • 全体討議の場を設定しても,参加人数が多過ぎて機能しない
    • 研究大会のメインは「懇親会」での人の交流であるが,過密状態になるため,交流の場にならない

    「交流困難」は,自分の業績の点数稼ぎを学会発表の主要にしている者には,決定的に問題になるものではない。
    しかし,学会発表を実質的な研究ツールとして活用しようとする場合,「交流困難」は決定的な問題である。
    特に,大学研究者と現場教員の共同研究が,この種の研究になる。
    大学研究者と現場教員の共同研究の発表が,いまや歩止まりの悪くなった研究大会から,姿を消していく。
    そしてこれは,「数学教育学」と「数学教育」の乖離 (セクト化) の進行──これは螺旋運動する──につながっていくことである。

     註 : もともと,大学研究者と現場教員の協働関係は,余程上手につくらないと,成らない。
    大学研究者は「教員養成」を仕事にしているが,学校現場はこれを「教員指導」につなげるのが普通である。 一方,大学研究者と現場教員の協働関係は,「教員指導」を入り込ませると駄目になる。
    そして,ここには運もある。──実際,最も確実な要素が,「同世代」である。