Up 「授業」の本来形 作成: 2015-12-05
更新: 2016-02-08


    《学校数学とは,教員が「数学の授業」としてパフォーマンスできるもののことである》には,《「数学の授業」として有って欲しいものが起こらない》の含蓄がある。

    <「数学の授業」として有って欲しいが起こらないもの>は,生徒が欲することになるものである。
    しかし生徒は,「数学」「数学の授業」を知らない者であるから,それを知らない。
    教員は,自分がパフォーマンスできる「数学の授業」を「数学の授業」にする者である。
    したがって,やはりそれを知らない。あるいは「関知せず」にする。


    <「数学の授業」として有って欲しいが起こらないもの>を,改めて押さえておく。

    「勉強」は,「開眼」「目から鱗」になることである。
    勉強を続けるのは,この先にまた新たな「開眼」「目から鱗」が控えていると思うからである。
    勉強は,世界構築・世界獲得である。
    勉強は,「探索」がこれの構えである。

    「授業」とは,以上の意味の「勉強」を起こすことである。
    数学の授業は,「勉強」のこの意味において,数学の勉強を起こすものである。