Up 勉強に「数学の勉強」が択ばれる理由:要旨 作成: 2013-11-18
更新: 2013-11-18


    「勉強する」を,「食べる」と同型にしてみる。
    そして,<主食>に対応するものを考えてみる。

    つぎが,<主食>の条件である:
      1. 続けられる
      2. 滋養

    「勉強する」では,<体系の勉強>が<続けられる>の条件を充足するものになる。
    勉強に「数学の勉強」が択ばれていることは,<体系>と<滋養>の要件の充足と見ることになる。

    この「充足」の中身はわからない。
    「歴史の淘汰に残っている」を「充足」と読むのである:
      理屈はわからんが,数学でまあ間違いないみたいだ


    こうして,「形式陶冶」をコンテクストとする「数学を勉強する」は,「主食を食べる」である。
    このコンテクストでは,数学の勉強は,数学を使って何かをするためのものではない。 主食として数学をただ食べていれば間違いのないものである。

    特に,学校数学は,「きちんとした数学をきちんと勉強する」のみのものである。 「主食」の意義を損なうふうに扱ったり変えたりするのは,あってならないことである。