Up 「「よくする」の無効」の観取 作成: 2014-07-26
更新: 2014-09-20


    学校数学は,「学校数学をよくする」の実践のつくるものと見なされている。
    そこで,この「学校数学をよくする」が実際どういうものであるかに,目を向けてみる。

    先入観を捨てて観察すれば,個それぞれの多様な営みを「学校数学をよくする」で大括りしているといったものである。
    そして,この「よくする」には,実効性がない。
    なぜなら,「箱物」がそれの本質だからである。

    学校数学では,出口論がつくられる:
    1. 学校数学を,人材養成の入出力装置に見立てる
    2. 出力内容を,出口論として論述
    出口論は,ことばの本性上,「箱物」になる。
    即ち,学校現場が,これを受け,これの内容を埋めねばならない役回りになる。 そして,内容は埋められない。

    実際,出口論は,結果の見届けを最初から想定しない。
    言いっ放しになる。
    「箱物プロジェクト」がこれの位相である。

    しかし,出口論は,こういうものであることにおいて,まさにそれの機能を果たしている。
    出口論の機能は「系の代謝のための攪乱」である。
    出口論が自身の結果責任を想定しないのは当然である。「結果責任」は「攪乱」の論理矛楯である。
     ( 『学校数学出口論の構造』)