Up 「外なる形式が自分に届く」とは?:要旨 作成: 2013-09-07
更新: 2013-10-06


    形式は,「カラダの内なる形式」ではなく,「カラダの外なる形式」である。
    カラダは,外なる形式の同調・受容・反応器である。

    「形式が届く」の言い方は,「カラダは形式に対し受動的」の響きがある。
    一方,「求めるものが届く」の実感があり,これは「カラダは形式に対し能動的」の響きである。 実際,この「能動的」を重くして「能動の主」を立てるとき,「内なる形式」になる。
    本論考は,「カラダ=傾性」を立てる。そこで,「外なる形式が届く」となる。 ──「能動」の響きは,「傾性」から出てくるものである。

    「転移」は,「カラダの内なる形式」の機能ではなく,「カラダの外なる形式」の同型を受容するカラダの機能である。

    カラダがつくられていない段階では,世界はノイズである。
    カラダがつくられてくる (「成長」) に応じ,世界は輪郭・形──形式──を現してくる。

    世界をノイズとして現すものは,我(が) である。
    我が,形式が自分に現れてくることを邪魔する。
    形式が現れてくることは,我が消えていくことと相応じる。
    成長は,一面,我が消えていくことである。