Up 「形式」の記述:まとめ 作成: 2013-10-02
更新: 2013-10-03


    「形式」は,「形式にはこれこれのものがある」というようには論じられない。 即ち,「これこれ」は指示する所作であるが,「形式」は指示されるふうには存在していない。

    「形式」の記述は,つぎのことの論述になる:
      勉強は,<形式が届くカラダ>をつくる。
    勉強が<形式が届くカラダ>をつくるメカニズムは,「堆積と風化」「無用の用」である。
    これは,「形式の同定」のストーリーにはならない。
    そして,「形式」の記述はこの他ではない。

    記述しようとすれば対象が無くなるような「形式」を,なぜ存在として考えようとするのか? 根拠・理由は?
    それは,「成長」「個人差」の現前である。
    「形式」は,「成長」「個人差」の反照として,「成長」「個人差」の説明概念として,存在になる。

    「形式」の記述の中心は,「堆積と風化」「無用の用」の論述である。
    「堆積と風化」「無用の用」の論述は,堂々巡りの様相を呈するものになる──実際,この他ではない。
    翻って,このような論述が果たしてもつかどうかに,「形式」の記述の可能性がかかっている。