《この授業を受ける生徒のうちに,自分がいる》に対し,「運」のことばを発したとする。
それは,意識的・無意識的に「運」の構造を見ているということである。
ここで見ている「運」の構造は,つぎのようなものである:
- 「授業による自分の得は,授業如何で大きな差が出てくる」
- 「数ある授業のうち,自分はこの授業の生徒になってしまった」
- 「自分は,この授業の生徒であることにより,他の授業の生徒でなくなった」
- 「数ある授業と数ある生徒のうちから,よくもこの授業と自分が出遭ったものだ」
- 「この授業の生徒になったことは,この先吉と出るか凶と出るか?」
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