Up | 「授業運」に対する主体性の在りどころ : 要旨 | 作成: 2014-03-27 更新: 2014-03-27 |
この「主体性」が,「授業運」の場合,所在がないふうになる。 授業とのその都度の出遭いにおいて,生徒は授業の素人であるからだ。 生徒にとって,現前の授業が「授業」のことになる。 実際,現前の授業の相対化は,「他の授業」の押さえが要る。 しかし,「他の授業」の想像自体が困難である。 また,授業運を「幸運」ないし「不運」とするときには,「幸運・不運」の指標をもっていることになるが,この指標をもつことが困難である。 |