Up | 「授業の差異/格差」の現前:要旨 | 作成: 2014-04-18 更新: 2014-04-18 |
そして,「差異/格差」は,現実である。 「差異/格差」は,いろいろな視点で捉えられるところとなる──教師,学級,学校,地域,時代,等々。 授業に差異/格差が存在することは,当然のことであり,このこと自体は問題になることではない。 問題になるのは,差異/格差の程度である。 「程度問題」が,差異/格差を問題にする形である。 「差異/格差」は,だいたいが,<めぐまれている>に対し<ひどい>を立てる論じ方になる。 翻って,<めぐまれている>が立たなければ,このタイプの論は立たないことになる。 そして実際,<めぐまれている>は,幻想である。 「よい授業」はなくて,ただ「悪い授業」がある。 「悪い授業」とは,生徒が自身を授業からシャットアウトするようになる授業である。 授業は,この「悪い授業」でなければ,即ち生徒がアタマ・カラダを動かす授業になっていれば,何でも同じである。 |