Up 専門性を欠くので,「新作」をやる 作成: 2012-07-12
更新: 2012-07-12


    数学は,古典である。
    数学の授業は,古典の語りである。

    古典の語りは,古典の修業あってのものである。
    そして,この修業は容易でない。
    腰を据え,じっくり時間をかけて取り組まねば,これは成らない。

    算数・数学科の授業を担当する教員の圧倒的多数は,数学の授業 (=古典の語り) を行うに足る数学の修業を欠いている。 腰を据え,じっくり時間をかけて数学の修業に取り組むということを,してきていないわけである。
    では,数学の授業を行えないかれらは,自分の授業をどう処するか?
    「新作」をつくり,これの語りを授業とする。
    実際,これを方法とする他ない。

    古典の語りと新作の語りは,特に心理の位相において異なるものになる。
    古典の語りは,つぎが構えになる:
      話がもともとよいのだから,語りの要諦は,これを相手に素直に伝えること。
    そこで,この語りは,穏やかなものになる。
    新作の語りは,話を信ずるに足るものにできないので,興味・関心を相手にいかにもたせるかを,語りの要諦にすることになる。
    そこで,この語りは,にぎやかなものになる。