Up 「個の多様性」が, 授業の「何でもあり」に 作成: 2012-06-05
更新: 2012-08-03


    修業を課そうとする相手は,成長レベルも個性も多様な者たちである。
    課した修業が相手にとってほんとうに修業になるかどうか (力の発現が起こるかどうか) は,相手次第である。
    相手に入っていかない物を与えるのは,意味がない。
    相手に入っていく物を与えて,はじめて意味がある。
    こうして,多様な個に応じるとき,修業は「何でもあり」になるのみである。

    修業を相手に課そうとする者は,多様な個である。
    修業を課す側の「個の多様性」は,修業の多様性になる。
    すなわち,修業は「何でもあり」になる。

    修業は課す側と課される側の両方に「個の多様性」があり,この「個の多様性」が修業の「何でもあり」になる。


    学校数学は,修業である。
    生徒と教員の両方に「個の多様性」がある。
    生徒の多様な個に応じるとき,算数・数学科の授業は「何でもあり」になる。
    教員の多様な個がつくるものとして,算数・数学科の授業は「何でもあり」になる。