Up 要 旨 作成: 2012-07-12
更新: 2012-08-25


    学校数学の「何でもあり」は,複雑系としての学校数学の「定常均衡」の相である。
    そして,複雑系における「システム最適」の実現が,「定常均衡」である。

    この理由で,学校数学は「何でもあり」である他ない。
    特に,「何でもあり」は,よいわるいの問題ではない。
    「何でもあり」は,受容するのみである。

    ひとは,「まっとうでない授業」を現状に認めるとき,これらが「まっとうな授業」に改まることを課題にしたがる。 しかし,この試みは,無駄であり,したがって無意味である。
    実際,学校数学は変わりようがない。現前のようである他ない。
    授業内容のあやしさは,「まっとうでない」のように見るものではなく,「何でもあり」のように見るものである。

    学校数学は変わりようがない。現前のようである他ない。
    学校数学は現前のようであると認めるのみである。現前を受容するのみである。

    達観と諦観は,相通ずる。
    「学校数学は何でもあり」を,「これの他にはあり得ない」の観想で肯定するのは,諦観に見えて達観である。
    「これの他にはあり得ない」には,道理がある。
    このときの道理は,「現前は,複雑系の定常均衡相──最適相」「複雑系は,構造改革が系そのものの破壊になる」である。