Up 学校教員養成の破壊 作成: 2012-07-31
更新: 2012-07-31


    学校数学が数学になるためには,教員が数学を教えられる者であることが必要である。
    したがって,数学教員養成のシステムが,数学を教えられる教員を実際に養成するものであることが必要である。

    数学を教えるには,第一に,数学の力がなければならない。
    したがって,数学教員養成の内容は,第一に,数学の力をつけさせることである。

    数学の力をつける方法は,数学に本格的に取り組むことであり,これの他にはない。
    しかし,「数学に本格的に取り組む」を数学教員養成課程に実現しようとしたら,どうなるか?
    他のすべてを留守にしなければならない。
    (しかも,これでも足りない。──実際,しようとしていることは,数学教員養成課程に理学部数学専攻の課程ないしそれ以上の課程を含ませるということである。)

    これは果たして教員養成になるのか?
    すなわち,この課程を修了できる者は,いったいどれほどか?
    そして,この課程を修了した者は,そのまま教員として務まるのか?

    そのまま教員として務まるふうにはならないとしたら (実際,務まらないが),務まるようにするために,教員養成課程の就学年数を増やすとか,OJTの実質的なシステムをつくるとかを,しなければならない。
    また,このときOJTを考えるのは,教員として成長する間の「酷い授業」による生徒被害に目をつむるということである。

    「学校数学を数学にする」を考えることは,「学校数学を数学にするのが,どれほどペイすることなのか?」を考えることである。
    そして,「ペイ」を考える対象は,方々に連鎖する。
    ここに出てきた「教員養成課程の就学年数を増やす」「生徒被害に目をつむる」というコストは,いろいろ出てくるコストの一例に過ぎない。

    「学校数学を数学にする」は,これが招くコスト増とペイしない。
    よって,「学校数学を数学にする」は,起こるものではない。