Up 要 旨 作成: 2012-06-07
更新: 2012-06-09


    「経験等価だから何でもあり」の立論は,つぎのようになる:
      経験は,「得は不得,不得は得」「得は失,失は得」である。
    すなわち,何かを得ることは替わりに何かを得ないことであり,何かを得ないことは替わりに何かを得ることである。
    何かを得ることは替わりに何かを失うことであり,何かを失うことは替わりに何かを得ることである。
    経験の得と損は,それぞれ損と得に裏返る。
    また,Aの得により替わりにBの不得となったときも,この先何かの契機で,Bの得の起こることがある。 そしてこのときのBの得は,最初からBの得があった場合より,よいものであり得る。
    「結果オーライ」というわけである。
    以上のことから,得・不得ないし得・失の関係にある二つの経験は,等価とするのみである。

    これを「学校での勉強」に適用すると,つぎの「授業等価」論になる:
      よい授業を受けられている生徒は,替わりに何か大事なことを得損なっている。
    ひどい授業を受けさせられている生徒は,替わりに何か大事なことを得ている。
    しかし,これは詭弁になる。
    「経験等価」の立論は,無理である。
    特に,「学校数学は何でもあり」の理として「経験等価」を立てるのは,無理である。