Up 鰯の頭も信心から 作成: 2012-05-11
更新: 2012-07-30


    「経験等価」は,事実のように語ると,詭弁を語るふうになる。
    実際,「経験等価」は,文字通りに受け取れるものではない。
    翻って,「経験等価」の立論は,<信じる>を組み込むことが要点になる。
    「信じて行えば,何でも価値を現す」の意味合いを,「経験等価」に含ませるわけである。
    これが,「鰯の頭も信心から」である。

    教員は,あやしい授業をする。
    教員養成の教員も,同じである。
    個人は,その能力によって,これ以外ではあり得ない。
    教員が生徒に対し授業するものは,鰯の頭である。

    しかしこの鰯の頭に対し,生徒は信心を起こす。
    そして,<修業>に向かう。

    鰯の頭で人に信心を起こさせるのは騙しであるが,しかしこのことは罪悪にはならない。 なぜなら,人は自分の<修業>の中には鰯の頭を継承しないからである。 人が<修業>に入るとき,その<修業>は独自である。
    鰯の頭は,きっかけで終わる。
    よって,害を及ぼさない。
    これが,「鰯の頭も信心から」の奥義である。