Up はじめに 作成: 2012-06-02
更新: 2012-07-30


    算数・数学科の授業は,内容が教師によってまちまちになる。
    教科書の内容も,数学の視点からこれを見るときは,首をかしげるものだらけである。

    実際,学校数学は,イデオロギーやモンスターの好餌である。
    これらは,正反対の指導内容を主張し合い,自分は正しく相手は間違っていると主張する。 そして,正反対のことを生徒に教えていく。
    数学は,イデオロギーやモンスターを排除する方法論の実現でもある。
    学校数学がイデオロギーやモンスターの好餌であることは,学校数学が数学ではないことを端的に示すものである。

    そこで,つぎのように言いたくなる:
      算数・数学科の授業は,これでよいのか?
       算数・数学科の授業は,現状以上には<数学の授業>を目指せないのか?

    これに対し本論考は,つぎの立場をとる:
      算数・数学科の授業は,数学の授業にならないのが必然かつ妥当。

    算数・数学科の授業は数学の授業になっているわけではない。
    実際,学校数学は何でもありである。
    そしてこれはこの先も変わらない。
    なぜなら,このことには理由があるから:
      学校数学は何でもあり──このことには理由がある。
    本論考は,この理由を論じようとする。


    本論考は,この理由をつぎの2段構成のものとして論じる:
    1. 「何でもあり」には,必然的にこうなる構造がある:
    2. この構造は,学校数学を含む大きな系の安定相/最適解の実現である。
    実際,この2段構成には,つぎの含蓄がある:
    1. 「何でもあり」を改めるとは,これの構造を改めるということである (「構造改革」)。
    2. この「構造改革」は,もし実行されるときは,学校数学を含む大きな系の安定相/最適解を壊すものとなる。
    3. 系の安定相/最適解の破壊は,系全体の破壊を意味する。
      系には,破壊に対し自身を防衛するように動作することが,含意としてある。
      「構造改革」は,初動段階ですぐさま,障碍・抵抗・妨害等の形を以て抑え込まれる。
      すなわち,実現しない。