Up | おわりに | 作成: 2014-12-08 更新: 2014-12-08 |
「極意」は,年を取れば自ずとこれに近づく。 どうというものではない。 しかし,若い者にとっては,ずっと先のものになる。 そこで,親切心から(?),数学教育学を専攻している大学院生を読者に想定して,「極意書」をやってみることにした。 強調するが,これは「極意書」であって,数学教育学への「案内書」ではない。 実際,「数学教育学はことばに過ぎない」「数学教育学は数学教育学でなくてよい」「数学教育学をしないために数学教育学をする」など,ひどいことをこの中で言っている。 「案内書」が「善の書」であるのに対し,これは「悪の書」である。 しかし,若い者は,「悪の書」という分野があることも知っておくのがよい。 本テクストは,<視座を地べたから上方に移す──そのときの風景>を述べようとした。 しかしこれは,とんだ余計なことをやっているわけでもある。 目的も立たず方向もわからず五里霧中をさまようのは,それはそれで得るところが多い。そして,おもしろい。 実際,わたしはこれでやってきた。 だから,本テクストは,勧めるものではない。 いまこのページを読んでいる人は,目次,「はじめに」,そしてこの「おわりに」と来ているはずである。 つづく本文は「とんだ余計なこと」だから,ここでやめて結構である。 付き合ってくれる人は,「とんだ余計なこと」に文句を言わないこと。 一方,「とんでも論だ!」のリアクションは健全であるので,大いに歓迎である。 本文は,「I「数学教育学」道」と「II 修行要目」の2部構成になっている。 「I「数学教育学」道」は,カラダ論・カラダづくり論である。 「数学教育学」をカラダの話だということにしたのである。 「II 修行要目」は,「修行要目」と言いながら,わたしの遍歴した修行項目からのピックアップである。 あげるべきものは,まだまだある。 しかしわたしはそれらを修行していないので,あるいはそれらが何か端(はな)から知らないので, 「II 修行要目」に入れていないということである。 ことばづかいは,ほとんど没論理である。 しかし,「極意書」は,このようなことばづかいになる。 ことばづかいを論理的にできるのは,論理的なことばづかいができる分野である。 数学でさえ,論理的なことばづかいにどどまることはできない。 実際,ことばは,もともとその程度のものとして考えるものである。 ご寛容あれ。 |