Up | イデオロギーは「かけ算の順序」を存在論にする |
数学は,ルールの体系化を営みとする規範学である。 使用する言語を文法の明確な言語として定め,理論生成の核にするルールを定め,「含意」のルールを定め,核のルールを起点にして含意の導出作業を開始する。 存在 (対象) も,自分の中でつくる。 数学の命題は,つぎの形をしている:
すなわち,普遍対象としてつくった存在は,つぎの形の命題をつくるのに使われる:
「この存在と同型の存在」という言い方が使えることは,「このような存在」の言い方を著しくラクにする。 (「人」を使わないで「人と同じ形のもの」を言おうとしたらどうなるかを,想像されたい。) 数学が自分でつくったものでない存在は,数学の対象ではない。 例えば,「長さ」「重さ」「時間」「速さ」等の日常語で「量」と呼んでいるものは,数学の対象ではない。 数学の対象である「量」は,つぎのものである:
数学が自らつくったものだけが数学の存在であるということは,よく理解されていない。 これは数学を考えるときの重要な点なので,強調しておく。 実際,数学は自分で存在をつくるので,特に,哲学的存在論 (イデオロギー) の雑音から離れていられるのである。 ──例えば,つぎのことをよくよく確認されたい:《数学の命題は,これに対して「賛成・反対」の立場が現れてくるようなものではない。》 |