7.3.2 “意味閑却的-心理学的"リサーチの阻却  


     数学教育学の命題形式 D1−I−D2 におけるIは,命題が数学教育的知見であるための条件として,まさしく“数学の指導”でなければならない。──ここで“数学の指導である”ということの意味は,Iにおける素材=制約素材は数学教育素材(数学教材)として主張できるものでなければならないということである。数学的表象が制約素材に用いられているからといって,Iが“数学の指導”になるわけではない。
     ある制約素材が数学教材と言い得るか否かは,純粋に各論である。即ち,教材研究によって明らかにされることである。
     心理学は,伝統的に数学的表象を制約素材に多用してきた。それは,“簡単なところから明らかにしていこう”という考えからであるが,ここで数学がわれわれにとって“簡単”に見えるとすれば,その理由は,数学の文法の単純さと,数学に対する規範学の特徴づけによる。即ち,その〈簡単さ〉は,〈外部〉に対する参照──即ち,セマンティクス──を不要にすることで得られたものである。心理学が数学的表象を制約素材に用いるとき,それは数学のこの種の〈簡単さ〉に目をつけているのである。
     そこでわたしは,数学的表象がセマンティクス閑却のレベルで専ら扱われているリサーチに対しても,“心理学的”と形容することにする──但し,“共時的-心理学的”と区別して“意味閑却的-心理学的”。
     そしてつぎのものが,ここでわたしが導入しようとする論点である:
      《数学教育学のリサーチは,意味閑却的-心理学的であってはならない》