有機農業は,化学肥料・薬剤を使う農業に換わり得るものではない。
農業は商品経済に取り込まれており,大量生産を強いられている。
有機農業では,大量生産にまったく間に合わない。
そこで「有機農業」の声に対して関心をもつ形は,「これはどんな思想を紡ぐか?」になる。
マイノリティにありがちの易い反体制イデオロギーに行ってしまいそうな構えになっているからである。
例えば,「健康」を持ち出すような:
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『生きている土壌』, pp.65-67
進化の発展の最高の段階にある人間が一番危険にさらされている。
というのは、莫大な量の介成された異物と毒物を摂取することで、人間にとって申し分のない価値があり、完全な生命力ある食物連鎖からますます遠ざかっているからである。‥‥‥
人間や家畜に、しばしば隠された形ではあるが、今まで見たことのないような病気、抵抗力のなさ、無力な状態が現れるだろう。
もしも人が折あるごとに、有機農業を営む農場を訪ねるなら、その農地、育っている植物、家畜、そして農家の家族の健康さに気づき、深い印象を受けることになるだろう。
それは疑いもなく生命力あるものが持つ癒す力である。
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「健康」は,「健康」イデオロギーである。
科学はこれに,<解体>という方法で応じなければならない。
「健康」イデオロギーの解体方法は?
生物生態の多様性を対置するのが,最もダイレクトなやり方になる。
「健康」を「農家の家族の健康さ」に定める者は,生物生態の多様性に考えが及んでいないわけである。
ひとにとって他の生物は,「なんで,こんなところで,こんな生き方を!」のように見てしまうものである。
深海や砂漠に棲む動物だと, 「極限環境に生きている」の見方になる。
しかし,食物を取るのに会社に出かけ,給料を受け取り,店で食品を買うみたいなのは,深海や砂漠に棲む動物から見れば十分「極限環境に生きている」である。
生物は,所与の中で生きるのである。
現代人が食する農作物は,化学肥料・薬剤投入式農業の作物であり,さらに遺伝子組み換え作物も加わっている。
これが,現代人の食物の所与である。
──現代は,商品経済が人の所与であり,そして商品になる農作物を実現する農業は,化学肥料・薬剤投入式農業であって有機農業ではない。
生きる所与が個々に異なる集団に対し,「健康」の概念は立たない。
実際,ひとは「健康」をそれぞれの所与の中で考えているのである。
「健康」は所与の中で考えるもの──ということである。
「偏食」も,所与になっている食品の中で考えるものである。
よって,「偏食でない」という状態は存在しない。
そして,個が所与と定めるものは個それぞれであるから,食餌はもとから偏食なのである。
生き物は個々に偏食をしている。
- 引用文献
- Erhard Hennig : Geheimnisse der fruchtbaren Böden。
Organischer-Landbau Verlag Kurt Walter Lau, 1994.
中村英司[訳]『生きている土壌』, 日本有機農業研究会, 2009.
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