Up 学術──<真理>の担保 作成: 2008-07-03
更新: 2008-07-03


    学校教育は現代社会の課題に応えねばならない。それはすなわち,現代社会が求める人材の育成ということである。
    ──本当か?

    生き物は,その日を生きるという生き方をする。 「生きる」意味を考えて生きるのではなく,その日の糧が得られる生き方をする。
    この生き方は,われ先に取る,奪う,だまし取る,殺す,といった行動様式になり,生きる基盤である社会そのものを成り立たせなくする。 よって,社会は,このような行動様式に対するカウンターの装置を用意する。

    これの一つに,公教育がある。
    <われ先に取る,奪う,だまし取る,殺す>に対するカウンターとしての公教育は,生徒に「生きる」意味を考えさせることを自分の役割とする。 (<われ先に取る,奪う,だまし取る,殺す>──生きる術(すべ) ──を教えるのも「教育」であるが,公教育はこの種の教育とは基本的に一線を画そうとする。)

    しかし,生きる術の論理が貫徹する世界 (経済社会) は,「生きる術をしっかり教えよ」「生きる術をしっかり備えた人材を育成せよ」の要求を公教育に対して投げてくる。
    そして学校現場も教育行政も,「公教育」の意味をよく理解していないために,このような声に対しては「社会の課題・要請に応えることが重要である」のリアクションをしてしまう。

    実際のところ,「社会の課題・要請」として見えているものは,流行現象 (短い期間続くだけのもの) である。
    しかし,ひとはこのようにとらえることができない。
    どうしてか?

    ひとは,現前の社会の出来事・課題を,決定的・絶対的なものと受け取る。
    ──これは,ひとがいまの自分を決定的・絶対的と思うことの裏返しである。


    ちなみに,現前の社会の出来事・課題を流行現象ととらえられるようにするものは,学問である。 学問によって,流行現象を科学的に主題化できる能力を陶冶する。

    学問がこのように機能するのは,どういう仕組みに因るのか?

    人がいまの自分を決定的・絶対的と思い,それの裏返しとして,現前の社会の出来事・課題を決定的・絶対的と思うのは,自分以外を知らないからである。──これを,「視野が狭い」と謂う。
    学問では,古今東西を学習する。
    この学習を通じて,「自分および現前の社会の出来事・課題を,古今東西の中に相対的に位置づける」ができるようになる。

    これは,現前の社会の出来事・課題を流行現象 (短い期間続くだけのもの) としてとらることのできる視座・スタンスの獲得を意味する。 そしてこの視座・スタンスは,<科学>の視座・スタンスに他ならない。
    以降,流行現象は,それに乗っていくというものでなく,科学的な主題化に努めるところのものとなる。