Up 「見えているのは,ものごとの表面」を主題化 作成: 2008-09-18
更新: 2008-09-18


    見えているものが,ひとにとっての存在になる。
    こんなふうに存在になっているものの表象を使って,ひとは思考する。

    しかし,見えるものは,ものごとの表面である。
    表面の下に隠されているものの方が,圧倒的に大きい。
    しかし,この圧倒的に大きなものが,ひとにとって存在しないものになり,思考に上らないものになる。

    これの当然の結果として,ひとの思考・行動は不合理なものになる。 思考・行動で,ひとは失敗する。


    学問は,<見えないもの>を探究してきた。
    教育は,<見えないもの>の存在を教える。
    この教育によって,ひとの思考や行動において,不合理・失敗が減ることを期すわけである。

    実際,この教育の効果は,決定的である。 なぜなら,この教育内容は個人が自ずと獲得できるようなものではないからだ。
    しかし,教育の効果は,ひとの意識するものにはならない。 意識の対象にする形はことばであるが,「教育の効果」はことばにすることがひどく困難 (ほとんど不可能) である。