Up 数学教育/学校教育の無力 作成: 2020-04-27
更新: 2020-04-27


    「新型コロナ」の報道に,ひとはあっさり騙される。
    この<騙される>のうちに,<報道が示してくる数値を読めない>がある。

    アメリカの万単位の死亡者数を示されて,明日の日本と恐怖する。
    この(てい)だと,もし世界ベースでの百万単位の死亡者数が示されたときは,世界の終わりと思ってしまうだろう。

    恐怖は勝手だが,恐怖の仕方が様になっていないのである。
    こうなるのは,数値の読み方を知らないためである。
    端的に,「桁数」「比率」の考えが無いのである。


    1万人の死者。
    これはどのくらい大きい数か?

    「大きい・小さい」は,「‥‥‥と比べて」が無いと言えない。
    問題:
     「1万人の死者」は, 「日本の総人口 1億2650万」に対しどのくらい大きいか?
     「1億2650万人」を長さ1m に表したときの長さで表せ。

    解答は,つぎの通り:
      1m に対する求める長さの比は,
        1万 / 1億2650万 = 104 / (1.2650 ×104+4)
        ≒ 0.7905 × 10ー4
      1m=103 mm の 0.7905 × 10ー4 倍は,
        103 × (0.7905 × 10ー4) = 0.07905 (mm)
      答:約 0.08 mm
    この絵図だと,死亡者の存在は,よほど目がよくないと見えない。


    つぎは,平成30年のインフルエンザ,肺炎,交通事故での年間死者数である:
        死因死亡数
        インフルエンザ3323
        肺炎94654
        交通事故4596
    ひとは,この数値に恐怖して生きてなどいない。
    数値なぞ思ったこともなく,ふつうに生活している。

    「新型コロナ」は,年間死亡数が 10万になっても肺炎並である。
    では,ひとはいま,「新型コロナ」を年間死亡数がどのくらいのものだと思って恐怖しているのか?

    「こんな考え方はしていない」が,この問いに対する答えである。
    理詰めで考えるということが無くて,ただただ思考停止して恐怖している。
    ここが問題なのである。


    理詰めで考えることをしないのは,「理詰めで考える」の概念が持たれていない/身についていないからである。
    特に,数値が絡むと,たちまち思考停止の殻に閉じこもってしまう。

    ここに示されているのは,数学教育/学校教育の無力である。
    <騙されやすい状況で簡単に騙される者>は,学校教育がこれをつくっていることになる。
    <数値が絡むと思考停止する者>は,数学教育がこれをつくっていることになる。

    実際,<騙されやすい状況で騙されない者>は,いまの数学教育/学校教育からは出て来ないものである。
    いまの数学教育/学校教育は,「よりよい生活」がこれの考え方だからである。
    数学教育だと,「ストラティジーだ!」「リテラシーだ!」となる。
    「知識とは騙されないためのもの」の考えは,いまの数学教育/学校教育には(はな)から無いものである。

    Cf.『放射能数値の安全/危険度の計算作法──数学教育の責任』


    練習問題
     4月26日報道の「アメリカの新型コロナ死者数 5万3934」は, 「日本の死者数 372」と比べてどのくらい大きいか?
     アメリカの総人口 3億2906万人,日本の総人口 1億2650万人を,ともに長さ1m に表したときの長さで表せ。

    解答:
      3億2906万人に対する 5万3934人 の比は,
        (5.3934 ×104) / 3.2906 ×104+4 = 1.6390 ×10ー4
      1億2650万人に対する 372人 の比は,
        (3.72 ×102) / 1.2650 ×104+4 = 2.9407 ×10ー6
      1m=103 mm の 1.6390 ×10ー4倍は,
        103 × (1.6390 ×10ー4) = 0.1639 (mm)
      1m の 2.9407 ×10ー6 倍は,
        103 × (2.9407 ×10ー6) = 0.0029 (mm)
      答:死亡者数を表す長さはそれぞれ約 0.164 mm と 0.003 mm で,その差は 0.161 mm。

    ひとが「アメリカの死者数 5万3934」に対し「明日はわが身」と恐怖するのは,「比率」の考えが無いからである。