考古学者は,つぎの「北海道の時代区分」を提示している:
"アイヌ"イデオロギーは,アイヌを「北海道先住民」に仕立てようとする。
この場合,「旧石器文化 → 縄文文化 → 続縄文文化 → 擦文文化 → 縄文文化 → アイヌ文化」の遷移は,アイヌという閉じた系の遷移でなければならない。
これ全体が「アイヌ文化」でなければならない。
そこで,つぎのように唱える者が出て来たりするわけである:
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「北海道の時代区分」の中の「アイヌ文化」は,カテゴリーミステイクだ。
「アイヌ文化」ではなく別の呼び方をしよう。"
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一般に,地域の文化の変遷は,自閉の中の変化ではない。
異文化の侵入・浸潤が,これの内容である。
地域の文化の変遷は,侵入・浸潤してくる異文化に在来文化が同化されるというものである。
地域の文化の変遷は,生態系の進化の部類である。
これは,つぎのようなものである:
栗原康 (1973), p.233
フラスコに水を入れて放置すると, 「遷移する生態系」が現れる;
「遷移」のメカニズムは,生物の逐次侵入と在来種との競合:
「北海道の時代区分」が実体のあるものだとして,その変遷はこれと同様である。
自閉した系の変化ではない。
侵入・浸潤してくる異文化に在来文化が同化されるというものである。
旧石器人は縄文人に同化され,縄文人は続縄文人に同化され,続縄文人は擦文人に同化され,擦文人はアイヌに同化され,アイヌはシャモに同化され,というぐあいになる。
"アイヌ"イデオロギーは,「シャモがアイヌを同化」を「エスノサイド」だとキャンペーンする:
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野村義一 (1992)
各国の政府代表部の皆さん、そして、兄弟姉妹である先住民族の代表の皆さんにアイヌ民族を代表して、心からご挨拶を申し上げます。
‥‥‥
第二次世界大戦が終わると、日本は民主国家に生まれ変わりましたが、同化主義政策はそのまま継続され、ひどい差別や経済格差は依然として残っています。
私たちアイヌ民族は、1988年以来、民族の尊厳と民族の権利を最低限保障する法律の制定を政府に求めていますが、私たちの権利を先住民族の権利と考えてこなかった日本では、極めて不幸なことに、私たちのこうした状況についてさえ政府は積極的に検討しようとしないのです。
‥‥‥
日本のような同化主義の強い産業社会に暮らす先住民族として、アイヌ民族は、さまざまな民族根絶政策(エスノサイド)に対して、国連が先住民族の権利を保障する国際基準を早急に設定するよう要請いたします。
また、先住民族の権利を考慮する伝統が弱いアジア地域の先住民族として、アイヌ民族は、国連が先住民族の権利状況を監視する国際機関を一日も早く確立し、その運営のために各国が積極的な財政措置を講じるよう要請いたします。
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しかし,「シャモがアイヌを同化」を「エスノサイド」と呼ぶときは,アイヌも「エスノサイド」をやってきたわけである。
独り善がりは成立しない。
引用文献
- 栗原康 (1973) :『かくされた自然──ミクロの生態学』, 筑摩書房, 1973
- 野村義一 (1992) :「国連総会記念演説」(アイヌ協会理事長), 1992-12-10
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