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貝澤藤蔵『アイヌの叫ぴ』, 1931
小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, pp.373-389.
pp.377,378
今日新聞を読み雑誌を見る我々アイヌ青年に最も不快の念を抱かしむるものは、我々に嘲笑的侮蔑的な代名詞の冠せられて居る事であります。
敗残の群──滅び行く民族──生存競争の落伍者──、何と惨めな何と痛々しい代名詞ではありませんか。
私は此語を聞き、新聞や雑誌に此語を見る度に、悲憤の涙がこぼれます。
先住の地を自由に侵掠せられ、優先に得らるべき数々の権利を占取せられ乍ら、無学なるが故に袖手傍観し最後に嘲笑せらるゝアイヌ民族こそ哀れなものです。
若し我等の祖先の中に自己の生命は永遠に続くべきものである、其未来の生命の為より善き今日を建設して置かう、と云ふ様な考を持った一賢人が居ったなら、確に自分等は今日此様な境遇に置かれて居ないだらうと思ひます。
けれど此様な愚痴は言ひますまい。
浴びせられる嘲笑に向って奮然と起たう。
激しき社会の生存競争場裡に一丸となって飛び込み、精限り魂限り働き、今後十年二十年後猶ほ且此の旧態を脱し得ない場合にこそ、如何なる嘲笑、如何なる侮蔑的代名詞でも甘んじて受けやう。
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