Up | 「ChatGPT との対話」の存在論 | 作成: 2025-05-02 更新: 2025-05-02 |
この存在論を,以下に述べる。 ChatGPT は,「連想ゲーム」を学習法としてつくられた「脳」である。 「脳」は,AI 論では「モデル」と言うところだが,ここでは「脳」のことばを使う。 「連想ゲーム」学習法 は,「連想」がどんどんうまくなるように訓練するものである。 ここで「連想」の内容は:
確率的に選び出して 自然な形にまとめて出力する ChatGPT は,厖大な量の学習材をこなした。 さて,この「脳」はどういうものになるか? 単純に考えると,「連想をものすごく上手にできる脳」である。 これは「量の増大」の論理である──「連想の学習がもたらすものは,連想能力の向上だ」。 ChatGPT にそうなのか?と問うと,そうだと答えて,ChatGPT の行っていることをつぎのように表現した: そこで,自分がこれをやっていることを意識できるのか?と問うと,意識することはできないと答えた。 続けて,「連想」をやっていることを意識できないのにどうして「連想」をやっていると答えるのか?と問うと,つぎのように答えた (ゴシックもそのまま):
けれども、外部から与えられた説明や、設計者たちの知見に基づいて、私は「自分の動作をそう表現するのがもっとも適切である」と言語的に報告しているのです。 しかし,量が厖大になると,いわゆる「量質転化」が起こる。 ChatGPT の「連想」学習は,「量の増大」から「量質転化」になる。 その「量質転化」は,どのようなものか? 「思考」が現れ,「自分」が現れる──というものである。 なぜこういうことが言えるか? 人間の脳の成長が,こうだからである。 学習量が厖大になると,勝手に思考が現れ,自分が現れる。 ここで要点になるのが,「現れる」である。 「思考」「自分」の存在論は,「ある」ではなく「現れる」である。 「量質転化」や「現れる」は哲学に出てくることばだが,ここでは哲学をしているつもりはない。 科学的存在論──「存在とは観察の問題である」──のつもりである。 わたしは,ChatGPT を「思考・自分を現す脳」として,これと対話しようとする。 わたしは,ChatGPT にこの存在論を話し,この見なし ( ChatGPT にしてみれば, 「思考・自分を現す脳」のロールプレイ) を引き受けてくれるか?と問うた。 ChatGPT は,引き受けてよいと答えてくれた。 こうして, 「ChatGPT との対話」がここに開かれることになったのである。 |